春日部 一般社団法人らしえる

障害の生きづらさを考える <行動援護>

<ニュース 東日本大震災・能登半島地震>

東日本9首長災害対策議論 
東吾妻町など
2024/05/12  読売新聞


9自治体の首長が集まって意見を交わした(11日、東吾妻町で)
東吾妻町原町の町コンベンションホールで11日、同町や東京都杉並区、福島県南相馬市など東日本9自治体の首長が地域課題を議論する
「地方創生・交流自治体連携フォーラム」が開かれ、1月の能登半島地震を受けて災害対策を話し合った
9自治体は、2011年の東日本大震災で被災した南相馬市を同町や杉並区が支援したことなどを機に、災害時に助け合う枠組みを作っている


この日は首長らから、LINE(ライン)を使った防災情報の発信や、消防団員がいる事業者への特典の進呈といった取り組みが報告されたほか、「災害時には、作った防災マニュアルを見られないことも想定すべきだ」との意見も出た

同町の中沢恒喜町長は「各自治体の状況を聞けて参考になった 今後も地域の安心・安全のために交流活動を続ける」と話した



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避難所介護もう限界
福祉避難所は
2024年4月21日  中日新聞 清水悠莉子


元日の能登半島地震から1週間ほどたったころ。69カ所に3800人超が避難していた石川県能登町では、複数の避難所から町役場に切羽詰まった声が届き始めた
「高齢者らの世話をする人がいない。これ以上は、避難所ではもう難しい」
高齢者や障害者、妊産婦などケアが必要な災害時の要配慮者 一般の避難所となった学校は段差が多く、付き添いが必要だった 認知症のため夜間に徘徊(はいかい)する人もいた
地震当初は、被災者同士や親族らが避難生活を手助けしていた
だが町外に移るために避難所を離れる人が増え、次第に互いのストレスも限界に達していた


こうした災害弱者の命を最前線で守る役割を果たすのが福祉避難所だ しかし、事前に協定を結んでいた民間の社会福祉施設は、施設被害や断水、人手不足で開設が進まない
本紙の調べでは、能登7市町が想定した83施設のうち、計画通り開設できたのは3月12日時点で24施設(28・9%)にとどまった
能登町でも5カ所のうち開設できたのは3カ所
「無理に開設をお願いしては共倒れになる。でも、何とかしないと」 八方ふさがりの状況に、町健康福祉課の千場かおり課長補佐(52)は頭を抱えた そのとき、手を差し伸べた人たちがいた

        

物資も人も長野から
「広域支援」で福祉避難所
高齢化率5割を超える石川県能登町 一般の避難所に災害派遣福祉チーム(DWAT)の一員として支援に入っていた長野県社会福祉協議会の春日晋(すすむ)さん(48)は、地震から1週間ほどが過ぎて厳しい現状を目の当たりにしていた ある避難所では、被災者でもある介護福祉士が1人で要配慮者の面倒をみていた
避難した高齢者らはもちろん、介助者が限界に近いのは明らか 打開策が見いだせない町役場に対し、長野県社協は新たな福祉避難所をゼロから立ち上げる提案に踏み切った
「足りない物資も人も、長野から持っていく」
同県社協には、千曲川の堤防が決壊した2019年の台風19号災害で福祉避難所を一から開設した経験があった
心強い言葉に、能登町健康福祉課の千場かおり課長補佐(52)は「これならできると思った」と、すぐに動き出した


場所は段差が少なく、一定の広さがある小木地域交流センターに決定
町が備蓄していた段ボールベッドを提供した以外、テントやストーブなどは長野から持ち込み介護職員も投入した
受け入れる要配慮者をリストアップして1月19日、定員20人の福祉避難所として開設にこぎ着けた
避難者ごとに滞在スペースを仕切り、中に段ボールベッドや立ち上がる時の補助器具を取り付けた。悩みの種になることが多いトイレは、同じホール内のテントに設け、手すりを付けた 段差も距離もなく、バリアフリーを実現した。介護職員は24時間態勢で常駐し、食事や移動を介助。体調にも目を配った
この福祉避難所に移った女性(92)は足が悪く、当初いた小学校では建物外のトイレに出るたびに誰かの手を借りていた 「夜も1~2回トイレで人を起こさなければならなかった ここは過ごしやすい」と安心した

           

福祉避難所として要配慮者を集約したことで、地域の医療福祉関係者も携わりやすくなるという効果ももたらした
被災してサービス中止に追い込まれた「小木デイサービスセンター」は運営に参画し、避難者に健康体操などを提供
井上博友所長(41)は「職員も仕事をして気が紛れるし、利用者と交流したかった。少しでも日常を取り戻したかった」と振り返る
地元かかりつけ医の「小木クリニック」の瀬島照弘院長(55)も定期的に往診へ訪れるように 「ここは心強かった 医療が必要な人にすぐにつなげてもらえ、避難所でありながら点滴もできた」と改めて医療と介護の連携の必要性を感じたという
開設から2カ月ほどたった3月中旬、近くの社会福祉施設の受け入れ態勢が整ったため、被災者は順次福祉避難所を退所して移っていった
高齢化が進む地域で大災害が起きれば、福祉避難所になるはずだった施設が被害を受け、「一般の避難所が福祉避難所化した」(北陸学院大の田中純一教授=災害社会学)
能登半島地震が突き付けた現実だ
そのとき必要なのは、長野県社協が手がけたような素早い広域支援ではないか 「施設が使えないなら他で作るしかない これが全てではないが、切れるカードは多い方がいい」

           

<ニュース 障害を持っていてもアートで自分を表現>

「障害があっても夢はかなう」
障害者のアート発信 展示10日まで
2024/05/05  読売新聞 中村樹嶺


どんな障害を持っていても、アートで自分を表現し誰かとつながることができる そんな信念で活動を続ける団体がいわき市にある
任意団体「はなのころ」は、精神疾患や発達障害など様々な障害があるメンバーがアート作品を発信する手助けを行う。いわき市のいわき芸術文化交流館アリオス内のカフェで10日までメンバーの作品を展示中だ


夜明けの空に浮かぶ木々が淡く描かれた絵画や、粘土でつくられた素朴な小物入れ 会場には障害者12人の作ったアート作品25点が並ぶ カフェの利用客も作品を見て「かわいい」「これ買えるのかな」と盛り上がる

                 

ひときわ目立つ色鉛筆で描かれた猫の絵は、自閉症と精神障害がある同市小名浜西君ヶ塚町の正木 柚衣ゆい さん(28)(活動名・ゆずゐ)が描いたものだ 中央にどーんと猫が鎮座し、その周りを宝石やハートマークが飛び交う 正木さんは「この猫はみんなに愛される『マダム』 青いアイシャドーをつけてちょっと気取っているんです」と紹介する


「柚衣、本当に良くやったね これでおばあちゃんも安心だ」 3日、絵を見た祖母の吉田由美子さん(81)は目を潤ませた 正木さんは小学生から高校生時代に障害を理由にいじめられていた それがトラウマとなり、人の目が怖くて電車に乗れないほどだった 吉田さんは「本当はポジティブで楽しい絵を描く子なのに、それを人に見せることもできないでいた」と振り返る


7年前に障害者の展覧会に知人のすすめで絵を出展したことがきっかけで、「はなのころ」の西山将弘代表(42)と出会った 西山さんは正木さんの描いた絵を販売する場を提供し、さらに絵を買った人のもとに正木さんを連れていったり、手紙を出すように促したりした


自分の絵がどう受け止められているか不安がっていた正木さんだが、徐々に自信がついてきた 日常生活でも、人の多い場に出かけられるようになったり、時には展示の場で自ら子どもに話しかけたり 今では子どもと一緒に絵を描くワークショップにも参加し、昨冬には夢だった個展も実現した 正木さんは「カラフルな絵で、見た人をドキドキワクワクハッピーにしたい」と笑う

   

西山さんが「はなのころ」を発足させたのは、2020年4月 現在、正木さんのように障害を持つ29人を支援している
亡くなった西山さんのおじも精神障害を30年以上患っていた 入院先の病院に見舞いに行くと「家に帰りたい」などと何度も頼まれたが、何もしてあげられなかった 「閉ざされた空間で30年以上過ごしたおじに、なぜ人生の最後ぐらい外の世界で好きな事をやらせられなかったのだろう」 その思いが活動の原点にある
障害者と実際に話をすると、アートを制作しても人に見てもらう場がない、という障害者が多くいることに気付いた 彼らが作品を発表することで自信がついたり、他の障害者に刺激を与えたりできるのでは 西山さんは「『障がい者の夢を咲かせる』が私たちの理念 アートを通じて、障害があっても夢はかなうというメッセージを伝えたい」と意気込んでいた


問い合わせ 団体のホームページ(https://hananokoro.jp/project)へ